馬が好きで好きで仕方ないあなたと、共有したい話がある。
引退競走馬の余生に衝撃を受け、各地の馬に関わる人を訪ねるなかで、馬にまつわる色々なことを教えてもらった。
登録抹消された引退競走馬は、その多くが行方不明になってしまうこと。サラブレッドは気性が荒く、乗馬には向かないこと。大事に育てられた馬は、人とうまくコミュニケーションを取ることができること。
馬の新しい仕事の中で、特に「ホースセラピー」という言葉の、本当の中身に心惹かれた。ホースセラピーとは、癒す方も癒される方もリラックスし、穏やかな気持ちで向き合った時初めて成立するというのだ。
言葉にすると当たり前なことではある。たしかに、イライラしている馬を見てほっこりした気持ちにはならないし、怯えている馬を見て穏やかな気持ちにもならない。
でも、改めて言葉にすると、なんだか嬉しい気持ちになってくる。
ホースセラピーと聞くと「馬にセラピー効果を恵んでもらっている」ような気持ちになる。しかし、実際にはその時、馬もいい気分になっていると言うのだ。何かしてもらったはずなのに、思いがけず「ありがとう」と言われたときのような気持ち。状況はどうであれ、感謝されたら悪い気はしない。むしろありがとうをありがとうという気持ち。
自分たちが癒されているまさにその時、目の前で耳をくるくる動かしているこのかわいい馬も、同じ気持ちでいてくれているというのだ。
「馬好きにとって、こんなに嬉しいことはない」
ホースセラピーの話を聞いた時、そんな言葉が浮かんだ。
「なんで馬が好きなの?」
今まで幾度となく聞かれた質問で、でも、今まで一度もはっきりと返事を出来なかった質問。
聞かれるたびに、「優しい目」とか「綺麗な身体」とか色々言ってはみるけれど、どれもしっくりこない。この質問の答えも、ホースセラピーを知るうちに、少し分かった気がした。
馬の体温は人の体温より少し高く、これは人の羊水と同じくらいの温度らしい。馬に抱きつくとほっとする訳はこれだったのだ。
また、馬の歩くリズムは、リラックスした時の人の鼓動に似ているらしい。何度乗っても、下手くそでも、なぜかまた乗りたくなるのはこのせいだったのだ。
どうやら、馬に触れると人は、科学的に、心地よくなるべくして、心地よくなっているらしい。
そういえば、裸馬に乗った記憶も、私の原体験だと思い至る。先日「馬とわたしのこと」に載せた、5歳の時の、おじいちゃん引退競走馬との想い出の続きだ。近所の森林公園のお祭りで、栗毛のおじいちゃん引退競走馬に引き馬をしてもらった。その時に発進と停止の合図を教えてもらい、初めて馬に合図を出したのだが、おじいちゃん引退競走馬は私の合図に素直に応えてくれた。そのことが嬉しくて、お祭りが終わって片付けが始まってからもずっと馬たちを眺めていた。
見かねたお姉さんが、声をかけてくれた。「鞍外しちゃったけど、乗ってみる?」
鞍をつけて乗ったのとは全く違う乗り心地にびっくりした。引退競走馬のゆったりした大きな一歩は、鞍の無い馬上ではダイレクトに私の身体に伝わってくる。滑らかな毛並みと温もりはとても気持ち良くて、この時間がずっと続けばいいのに、と思った。幸せってこのこと、と幼いながらぼんやり思った。
馬の体温や揺れについて、依存性があるという文献は見つからなかったが、依存性があるほど気持ちいいものなのだと私は声を大にして言いたい。
見学をさせてもらった馬の施設のひとつでは、障がいを持った人たちがお客として乗馬を楽しんでいた。またある施設では、障がいを持った人たちが馬房の掃除をしていた。馬から溢れ出すセラピー効果は、心身のバランスを取るのが苦手な人の心にも届くのだとか。
『引退競走馬は、サラブレッドなので、気性も荒くセラピー向きではない』
馬に関わる仕事をする方の中にはそう仰る方も多いと聞く。たしかに、今まで早く走ることが仕事だと教えられてきたサラブレッドにとって、引退競走馬となった途端、今日から人とのんびりするのが仕事だよと言われても戸惑うのは仕方のない事だと思う。
しかし、多くの乗馬クラブで、たくさんの引退競走馬が、乗用馬として人と上手くやっているのを私は見てきた。もちろん、引退競走馬に新しい仕事を教える馬乗りの方々の努力の賜物でもある。でも、加えて、彼らは馬として、人を癒せる力を持って産まれている。
しっかりとしたリトレーニングと、愛情をもってすれば、気性が荒いと言われるサラブレッドたちも、人を癒すことを生業にしうるのではないかと私は思うのだ。
いつか「引退競走馬の仕事といえば」の後に続く言葉の種類がもっともっと増えて、もっと多様な形で、馬と癒し合う人が増えたらいいのに、と願うばかりだ。
記事:saina
ただの馬好き。ウサギと2人暮らし。馬とひとの距離がもっと近い世界を目指してこつこつ活動中。