馬とわたしのこと
馬が好きだ。
かわいいポニーもいいけれど、特に競走馬のサラブレッドが大好きで仕方ない。見上げるような体高に筋肉質な身体、細長い四足に、優しい目。”速く走る”という使命のみを背負い生まれてきた彼らは、脆く強くて、とても綺麗だと思う。
昔から馬が好きな子だった。はっきりとしたきっかけは両親もわからないと言うけれど、物心ついた頃には馬の絵を描いていたらしい。小さい頃に連れて行ってもらった観光牧場で、放牧されている馬に駆け寄った時、キャンディの入ったポケットを噛まれたことに大喜びした記憶がある。馬が私に興味を持ってくれたことが嬉しかったのだと思う。両親を「なんでそんなに馬が好きなの?」と呆れさせるほど、昔から馬が好きで仕方ない。
サラブレッドとの最初の記憶は5歳のとき。相方は、近所の森林公園のお祭りに来ていた栗毛のおじいちゃん引退競走馬だった。馬場を一周引き馬で回るというもので、受付には順番待ちの子どもの列が出来ていて、私は何度も何度も並んで乗った。何度目かの引き馬で、気を利かせた乗馬受付のお姉さんが、発進と停止の合図を教えてくれた。
小さな私が背中から発する合図に、その引退競走馬は素直に反応してくれた(もちろん引いているスタッフに止められていた)。大好きな馬に気持ちが通じたと思ったら、もう嬉しくて嬉しくて、引き馬中に何度も合図を送った。乗せてくれた馬には申し訳ないことをしたが、思い返すと、これが私のサラブレッドとの原体験だったように思う。
引退競走馬の多くが屠殺されているという事実を知ったのは、それからしばらく経った中学生の頃だったが、競走馬のおよそ8割が、寿命の6分の1も生きられないと知ったのは大学生になってからだった。
びっくりした。そして責任を感じた。何かアクションを起こさなくては、と強く思った。例えるなら、自分の大好きな人が、実は重大な病気を抱えていて、それを知らずに何度もデートに誘っていたような感覚。浮かれていた自分が恥ずかしくなると同時に、なんとかしなくちゃ、という気持ちが止まらなくなってしまった。
今まで馬に関わる仕事をした経験がない私には、競走業界の知識もツテもなかった。でも、何とかしたい。私も何かしたい。とはいえこのままではどうしようも何も、何をしたらいいかもわからない。まずは業界の人たちの話を聞くことから始めると決め、馬とそれに関わる人に会いに各地を巡った。
この数年間で、馬や引退競走馬に関わるたくさんの人たちに、不躾ながら会いに行き、色々な話や思いを聞かせてもらった。その中で感じたのは、皆さん馬が大好きということ。そして、引退競走馬が寿命を全う出来ないという事実は、馬に関わる人の多くが承知していて、何とかしたくて、でも踏み込めなかった事実だった、ということだった。
馬を生業とする多くの人にとって、サラブレッドは経済動物であり、愛玩動物ではない。でも、私たちがペットと呼び愛でる犬やウサギと同じように、サラブレッドたちも生きている。そして、例え生業だとしても、一緒に働いていたらやっぱり好きになってしまう。そんな魅力を馬は持っているとも思う。
速く走ることを望まれ、その期待に応えるべく一生懸命頑張った彼らを、労うことなく逝かせてしまうのはあまりにもつらい。
引退競走馬の余生を語るとき、多くの人は「引退競走馬に寿命を全うさせたい」と言うけれど、私はそこに「人間との楽しい思い出を作りながら」と付け足したい。もちろん、競走馬としてのサラブレッドが幸せではないというわけではなくて、もっとゆったりとした時間を人間と共有する経験をして欲しいなと思う。
例えば馬主から愛情たっぷりのブラッシングをしてもらったり、乗馬クラブの会員さんたちにかわいいと褒められおやつをもらったり、セラピーホースとして人間とリラックスした空気を共有したり。そういう、いわゆる愛玩動物のような、ただ存在するだけで愛される経験を、頑張ってきた引退競走馬にもさせてあげたいと私は思うのだ。
実際、人間に愛されることを彼らが幸せと感じるかは確かめようがないけれど、彼らの愛情深さを持ってすれば、絶対に満更でもないと感じてくれると思うのだ。人間の中には、引退競走馬をなんとか長生きさせたいと願い、頭をひねる私たちのような馬好きがたくさんいる。それを知らぬまま馬たちが逝ってしまうのが悲しい。きっと愛は伝わると思うし、だからこそ愛を伝える場が増えて欲しいと願う。だから、私や、他のたくさんの馬好きな人たちはこれからもきっと、引退競走馬を含むたくさんの馬たちと人間の共生を、それぞれの信じたやり方で実現していくのだと思う。
これが、サラブレッドに速く走るという使命を負わせた人間のひとりとしての、私なりの答えだ。
記事:saina
ただの馬好き。ウサギと2人暮らし。馬とひとの距離がもっと近い世界を目指してこつこつ活動中。