引退馬支援
について

“うまが居る街”について

私が子どもの頃、実家の団地にはとても人懐っこい野良猫がいた。いつ会っても愛嬌があり、肉付きが良く、毛並みも良かったその猫は、団地内の何軒かの家に出入りしており、街全体で飼われている”まちねこ”だった。

転勤で実家を離れ、営業職として新しい街を巡回する中で、私は”まちうま”と出会った。

青鹿毛の彼は、国道から一本逸れた道沿いにある住宅街の一角にある、鉄の柵で囲われた馬場にいた。 閑静な住宅街の中で、目を引く青光りする黒色の馬体。ため息が出る様な美しさと存在感を放ちながら、全く場違いとも言える所に彼はいた。 あまりに想定外の出会いに私は、思わず車を止め、見惚れてしまった。

馬場の隣には、古いけれどきれいに掃除された馬小屋があって、馬場の中の柵に無造作にひっかけてある水桶には新しい水がなみなみと注がれていた。牧草も馬場の隅にこんもり盛られていた。

一見して、馬に精通している人のサラブレッドの飼い方ではないと分かった。しかし、随所から、彼への愛が溢れて止まらない馬場だった。青鹿毛の彼は、ツヤツヤの毛並みにキラキラの目で、澄ました顔をして真っ直ぐ私を見ていた。いい顔をしていた。ちょっといい乗馬クラブの、マダムの血統書付きの馬くらいには堂々と。 大事にされることを知っている生き物の、疑いのない真っ直ぐな目に、私はちょっとドキッとしてしまった。

その後、私は営業エリアなのをいいことに、週に何度も彼のいる道を通った。そこで、”まちねこ”ならぬ”まちうま”としての彼と会った。 つまり、近所の何人もの人が、各々できる範囲で、来れる時間に、彼に会いにきていたのだ。

ある時は中年の女性が彼の水桶を洗っていた。ある時は年配の男性が彼に人参をあげていた。ある時は下校する小学生の子どもたちが、彼にちょっかいをかけていた。ある時は少し離れた所に止めた車から、長いこと彼を見つめている人がいた。 その度に彼は、”まちうま”として、草食動物らしい素っ気なさと愛らしさで応えていた。

わたしの知っている”まちねこ”と、全く同じだと思った。彼は皆に生かされ、皆は彼に元気をもらっている。

住宅街で馬を飼うことや、サラブレッドの飼育にあたり、どこまで手をかけるべきか、という事に関して賛否はあると思う。 しかし、馬が街の一部になっている風景からは、その問題をすら越える価値を感じた。これが馬と生きること、皆が目指す世界のひとつだと感じた。


その後、彼の世話に集まってくる人たちと自然と仲良くなり、色々な話を聞いた。 彼のおかげで馬が好きになった少年は、私の少ない馬との経験談にも目を輝かせ、自分がどんなに馬が好きかを聞かせてくれた。 彼に会いに、毎日同じ時間にニンジンを持ってやってくる男性は、無口だったがいつも穏やかな顔になって帰っていった。 彼の飼い主だという年配の男性は(いわゆる馬主)、ここにくることで近所の人に安否確認をしてもらっていると笑っていた。

彼の世話をする中で、初めて馬の可愛さと同時に、引退競走馬業界を知ったという女性とは、業務のあとで青鹿毛の彼を見ながら、日が暮れるまで馬の可愛さと業界の将来について語った。

彼に会う為に集うゆるいコミュニティの中で、様々な人が、様々な人や感情と出会っていた。


「馬と暮らすこと」「馬と人の距離をもっと近くすること」

おそらく、馬に関わる多くの人が憧れ、求め、これこそが少しでも多くの引退馬を生かす道である、と確信しつつ、それでも簡単には成せずにいる世界が、そこにあった。

今、日本にいる引退馬の多くは、乗馬用の馬として第二の人生を生きる。しかし、その先にある、本当に達成したい未来とは、全ての人が、馬とどう関わってもいい世界、そしてその機会があちこちにある世界だと私は思っている。 乗馬を筆頭にしつつも、各々が各々の関わり方で馬と関わることで得られる、よりナチュラルなホースセラピー体験を通じて、人が集う憩いの場としての「馬」が、多くの人が偶然出会い触れられるところにいる状況こそ、「馬と暮らす」ことだと思うのだ。

それは、馬に乗る技術を教える為だけの閉ざされた乗馬クラブではなし得ないし、馬に関わる業界の人だけを囲う集いではなし得ないのだと思う。よりオープンに門戸を広げ、普通なら馬と交わるはずのない人をも巻き込むことを目指してこそ、と思うのだ。もちろん、馬の業界を少しでも覗いたことがある私ですら、難易度が高いことは容易に分かる。それでもなお、理想を語るなら、その偶然からこそ、より多くの人に馬好きになる機会を提供し、新しい馬との関わり方が生まれるのではないかと思う。

そして、そんな偶然の中で馬を知り、何かしらの感情と出会った人が、次に踏み出す一歩の選択肢を、一つでも多く、また踏み出しやすくそばに置くことが、精神面も含めた、広義「馬に関わる人」を増やす大事なことではないかと、青鹿毛の彼と、彼に集い同じ街で暮らす人々から、確信をもって感じた。 そして彼をめぐるゆるいコミュニティは、業界として向き合うべき課題であり、希望の光であると思った。

いつか、願わくば近い未来に、馬が当たり前に街にいるという次元で「馬と人の距離が近い」世の中がきます様に。

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